青磁の種類
純靑磁
青い色調を生命とし、陰刻、陽刻、印花、彫刻で、紋様の形を施すのみで、青以外の色は 一切使われていないものを呼びます。象嵌靑磁
青磁象嵌法は、器の表がまだ生乾きのうちに、鋭い切削の道具を用いて紋様を彫ったり、また「印花文」を押して乾燥させます。 次ぎに彫り込んだ跡に、白土、赤土などを埋め込み、はみ出した土を、へらで丁寧に 削り落とした後、再び乾燥させます。この乾燥した作品を一度素焼きした上で、青磁釉薬をかけ、還元焔焼成したものです。 青磁の釉薬下に毅然とした紋様が鮮やかに現れ、絵筆で描いたものとは、全く異なる 硬質な感じを持つ華麗な装飾効果を見せてくれます。辰砂青磁
辰砂とは、本来「硫化水銀」のことを言い、その色が、真紅に見える処からそう呼ばれます。青磁辰砂の発色剤は、銅を主成分とするもので、これが還元焔焼成されると、辰砂の色に近い銅紅色を呈します。この技法は、高麗時代の12世紀前半頃に発達したものです。鉄絵青磁
青磁の釉下に鉄分が多く含まれている赤土を水で溶かした絵の具を用いて、絵筆で紋様を手描きしたものを呼びます。この青磁は、緋色を帯びた純青磁や象嵌青磁とは違い、黄褐色や緑褐色を帯びている場合が多く、その筆使いは一種独特です。練上青磁
練上とは、青磁の胎土、白土、赤土の三種の土をもみこみ、縞模様として表したものを言います。【注】
※『陰刻』とは、青磁の素地に鋭い針や櫛状のもので、細かい線彫り紋様を彫りつけたもののことです。※『陽刻』とは、青磁の素地に、そっと軟らかく、また強く立体感をつけながら、紋様を彫りつけたもののことです。ここには、片切彫と言って、まず陰刻による紋様を彫り、その線の片側のみに、斜めに刃物を入れて、紋様を表したものもあります。
※『透彫』とは、厚めに作られた器壁を、へらや刃物でえぐりとって、紋様を表したものを言います。
※『彫刻』とは、植物や動物などの型を器形に写し、また器形の一部に装飾として使ったものを言います。これは12世紀前半に優れた作品として見られます。
粉青砂器の種類
粉青砂器象嵌文
高麗青磁の余韻を色濃く漂わせる雰囲気を持っています。 成形後、表面を彫り、本体とは違った土を埋め込むという象嵌青磁と 同じ手法で作られ、高麗末期の青磁との区別が曖昧です。この粉青砂器は、15世紀前半まで作られました。粉青砂器印花文
成形後、器の表面に一定の型押しをした処に白土を入れます。 その後釉薬をかけて焼きますと、灰色と白色との対比が美しく浮かび上がって きます。 この様な型押しの手法を「印花文」と呼びます。粉青砂器彫花文
成形後、白化粧を施し、好みの紋様(牡丹、蓮花、魚など)を描き、細かく 線刻して紋様を表したものを言います。粉青砂器剥地文
成形後、白化粧を施し、筆の様な道具に鉄分の多い顔料をつけ、表面に魚、 草花文、唐草文を生き生きとした筆使いで表現した粉青砂器です。15世紀から16世紀にかけて、主に鶏竜山一帯で焼かれたと見られています。刷毛目(はけめ)
刷毛で表面をさっと刷いて、白化粧を施したもので、生き生きとした躍動感を 見せてくれます。粉引(こびき)
白土を溶かした液の中に、どっぷりとつけて、化粧を施したものです。 刷毛目とは違い、しっとりとした雰囲気を漂わせています。粉青砂器は、16世紀後半、文禄慶長の役で数多くの陶芸家たちが日本に 連行され、また窯は破壊され、17世紀前半から次第に回復し白磁は再び復興し 全盛期へとつながっていきます。 白磁と同じ表面の粉青沙器は、白磁に移行する中で、これ以上白土で粉粧する必要が なくなったのも衰退の理由でありました。 こうして粉青沙器は、白磁に吸収される形で幕を閉じたのです。 白磁はソウルに近い中央官窯で造られたのに対して、粉青沙器は、ソウルから遠く 離れた地方官窯の管理下で、または民間窯で地方の特色を生かして自由に造られた。 このことが粉青沙器の紋様に大きく影響しています。 植物や動物紋を自由自在に変形させ、完璧などを追求しない大自然の活力と、 生動感溢れる紋様。粉青沙器を見ていると、山野で思い切り飛び回り歌をさえずる鳥や 獣の姿を見ることができます。あなたも一度陶遊ギャラリーでその自然の声を聞いてみませんか?
黒釉
黒釉というのは、釉薬の色が表すように黒色の陶磁器のことで、高麗時代の天目から朝鮮王朝にいたるまで、陶工たちに焼き続けられたました。
釉薬は黒釉であっても、胎土は白磁を使い釉薬に多量の鉄分が含まれているので、焼いたあと表面の色が黒褐色、または暗褐色を帯びるのです。
長い歳月にわたって制作されてきましたが、その数は少なく、初期の白磁や粉青沙器が出土した所で、この黒釉が掘り出されることが多かったです。
黒釉は、朝鮮王朝中期と後期にも使われたが、ことに後期にいたって釉薬の色が暗褐色を帯びた石間朱と呼ばれる黒釉が主に造られました。 朝鮮王朝では、各地で黒釉の陶器が造られ、鶏竜山一帯ではお寺で使われていた黒釉の茶碗が発見されており、また済州島でも黒釉の扁壺が発見されております。全羅道地方では、石灰石を使った黒っぽい飴色を帯びた瓶や壺を焼いていたと考えられる痕跡も見られます。
黒釉は胎土や釉薬に酸化第二鉄を添加し、酸化焼成あるいは還元焼成したもので、黒、褐色、紺色等の色合いを見せ、釉薬の表面の結晶状態によっていろいろと名付けられました。その他、地名、紋様等によって命名されることもありました。
日本で天目釉と呼ばれるようになったものは、中国の福建省が黒釉の主な産地であり、その地に修学した日本人の僧侶が天目山から黒釉茶碗を持ち帰ったことから天目茶碗と名付けられたと言われております。
白磁の種類
純白磁
純白磁は白磁を作る原料の胎土と純な釉薬以外に他の物質を全く使わないで純粋な白色の磁器を言います。技法には、何の紋様のない素紋、陰刻、陽刻、透彫などがあります。象嵌白磁
象嵌白磁は、成形を施した器の表面に紋様を陰刻し、その部分に赭土を埋め込んだ後、白磁釉薬をかけて焼いたもので、紋様が黒く現れるのが特徴です。この象嵌白磁は、高麗の象嵌技法を受け継いだものです。青華白磁
青華白磁は、純白の器の表面にコバルト顔料で絵付けをし、灰汁(あく)や純度の高い長石系の釉薬をかけて焼いたものを言います。初期青華は、輸入した回回青を使っていたが、18世紀頃から、韓国国内で生産された土青が使われた。紋様は梅鳥、蘭、松竹、梅竹、梅花、蓮判草花文、如意珠、詩銘などが紋様として描かれました。鉄絵白磁
鉄絵白磁は、素焼きした白磁の器面に鉄の成分を多く含む絵の具で絵付けした上に白釉薬をかけて焼いたものを言い、多くは17世紀頃にかけて作られました。紋様は褐色か黒褐色を帯び、朝鮮王朝初期から末期にかけて製作され続け、紋様が稚拙なものから抽象的なもの、絵画的なものと、時代によって、また窯によって、数多くの種類があります。辰砂白磁
純度の高い白土で成形をした器面に酸化銅などで紋様を施し、白磁釉薬をかけて焼いたものです。酸化銅は窯の中で高熱により還元されて紋様が赤く現れるのを特徴としています。諧謔的な絵が多く描かれました。.【注】
※『陰刻』とは、白磁の素地に鋭い針や櫛状のもので、細かい線彫り紋様を彫りつけたもののことです。※『陽刻』とは、白磁の素地に、そっと軟らかく、また強く立体感をつけながら、紋様を彫りつけたもののことです。
※『透彫』とは、厚めに作られた器壁を、へらや刃物でえぐりとって、紋様を表したものを言います。



