エッセイ

 

 


 

陶磁器は陶芸家と尊称される陶工によって、芸術的に手を加えられ、器としての機能と、芸術としての美を併せもって生まれる。それゆえに、機能に偏り過ぎて美を疎かにしてはならないし、また美を重んじるあまりに、その機能を損ねてもならない。
即ち、器としての機能を満たすと同時に美しさを求めなければならない。
器としての機能と、芸術としての美という両立しがたく相反するかに見える条件は、
土を練る、乾かす、削る、焼くなどのそれぞれの工程の中で無情にも変化してしまう。
この変化を的確に予想して、陶工の魂を吹き込んでこそ、活きた価値ある作品が完成される。それゆえ、陶芸家は、自分の魂が吹き込まれた器を世に出すために自尊心を大切にし、
自信の持てない作品は必ず壊すという作業を修業として大切に行う。
この陶工としての自尊心を黙々と守り通してきた人が、陶芸家の陶庵・池順鐸先生である。

  先生が亡くなられてすでに7年たってしまった。
先生の作品一点一点には、誰も真似のできない幅の広さと、器としての機能と、
芸術としての美、そして遊びの心も含めて、極致にまで高めた陶魂が込められている。
魂が入っている故に、先生の作品は他のものに混じっていても一目で見分けることができる。先生の作品を見ていると、どんなに陶芸に無知な素人でも、その中に潜んでいる機能、美、遊び心を容易に見つけることができるのは、先生がそのためにご苦労されて創作活動に
専念された作家であるからである。

  先生の作品は、韓国内はもちろんだが、海外、特に日本では現代陶芸の最高作品として
高く評価を受けてきた。
先生の作品は、青磁、古白磁、粉青沙器(三島)、窯変天目、白磁など、多岐にわたる創作活動をなされており、しかも力作ばかりである。これらの業績は、どの国どの時代の作家も、
一人として為すことのできなかった偉大な業績と言えるだろう。
また、数多くの逸品を世に残された先生のお弟子さんたちが、先生のご逝去後、
独り立ちを試みているが、私は先生の一つの分野の中からでも、その境地を越えるような素晴らしい作品が世に出る日を楽しみに待っている。
陶芸品も我々の伝統を通して、その伝承は心から心へと伝えられる。
単に目で見るだけでも、その色、形、バランスから伝わってくるその何かが、必ず奥深く心を打つ。
それは陶芸家が世に問うものと、その器を使う人との間で心の交流が生まれるからである。

  陶芸家が自分の作品を打ち砕いた後に残った器は、単なる焼き物の範疇を越えて入魂の陶芸品として生まれて来る。それ故、それを所有した人は、自分だけのものとして独占せず、陶工の心意気までも遠く長く後世に至るまで義務と責任を負っていることに
気づかねばならない。陶工の魂の込められた器は、大切に使って「陶遊」しながら、次の世代に受け継がせなければならない我々の伝統文化遺産である。

  池順鐸先生は、生前「陶遊」する心を我々に教えて下さった方である。
また先生は我が伝統文化を世の中に伝承することも教えて下さった陶芸家でもある。

  先生の教えを受けた人々が「陶遊」する場所を作ってくれた。
我々の伝統陶芸を正しく伝承するために努力する人々が、常に「陶遊」する心構えで、
今は亡き先生の志である「陶遊」の精神を守ってくれている。
そこにはお茶があり、陶磁器があり、陶遊人がいる。

  その「陶遊」には、我々の伝統を受け継ごうとする志を持つ人々が集まっており、広く深くそして暖かい心を持った人々が応対してくれて、また同じ心をもった人々が集う場所が、
ここ「陶遊」である。

  終わりに、我が国の陶芸の伝統が末永く伝承され、「陶遊」の志が後世まで、正しく受け継がれることを期待します。
そのためには正しい志をもった「陶遊人」として集うことができるようにお互いに自ら一層の努力を傾けることを望みたい。

大韓民国祟実大学校工学部
 建 築 工 学 科   
教 授 金 鍾 洛

 

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